センス・オブ・ワンダー|世界の美しさに気付くために必要なこと

レイチェル・カーソンが、代表作「沈黙の春」の次に書いたのが「センス・オブ・ワンダー」です。

残念ながら「センス・オブ・ワンダー」は未完となってしまいましたが、カーソンの死後、友人たちの手によって出版されることに。

農薬による自然や人体への影響にいち早く警鐘を鳴らしたカーソンから「センス・オブ・ワンダー」を通してたくさんのことが学べたのでメモしていきます。

センス・オブ・ワンダーとは

センス・オブ・ワンダーとは「驚きと不思議に開かれた感受性」のことです。以下、引用します。

子どもたちの生を祝福する優しい妖精に、何が願いごとができるとするなら、私は世界中の全ての子どもたちに、一生きえないほどたしかな「センス・オブ・ワンダー(驚きと不思議に開かれた感受性)」を授けてほしいと思います。それは、やがて人生に退屈し、幻滅していくこと、人工物ばかりに不毛に執着していくこと、あるいは自分の力が本当に湧き出してくる場所から、人を遠ざけてしまうすべての物事に対して、強力な解毒剤になるはずです。

子どもたちは感受性が豊かです。地面に落ちてる石ころに夢中になったり、道端に咲いているタンポポに喜んだり…

そのように、世界中の驚きや不思議に対して感受性が豊かなこと(または、感受性そのもの)を「センス・オブ・ワンダー」と呼んでいます。

センス・オブ・ワンダーから学んだこと

センス・オブ・ワンダーから学んだことを、厳選して3つほどメモします。引用部分には、訳者の森田真生さんが書かれた「僕たちのセンス・オブ・ワンダー」も一部含まれます。

1. 地球の美しさをもっと楽しんだ方がいい

地球の美しさをよく観察し、深く思いをめぐらせていくとき、いつまでも尽きることがない力が、湧き出してきます。鳥の渡りや塩の満ち引き、春を待つ蕾の姿には、それ自体の美しさだけでなく、象徴的(シンボリック)な美しさがあります。夜はやがて開け、冬のあとにはまた春が来る―――くり返す自然の反復(リフレイン)には、人を癒やす力があります。

仕事ばっかりしてて日々に忙殺されると、自然の美しさなどには目がいかなくなります。だってそんなものに注目したってメリットがないから。渡り鳥や蕾を気にしたってお金が稼げるわけじゃないから。

でも、わたしも日々4歳と2歳の子どもたちと一緒にいると、ほんの些細なことで喜んで、今を楽しんでいるのが分かるんですよね。

散歩道に落ちている木の枝を大切に持ち帰ったり、赤い木の実を集めることに夢中になったり。センス・オブ・ワンダーがある限り自然は無限におもしろい!ということを子どもたちから教えてもらっています。

2. 子どもにもっと助けてもらおう

妖精の力を借りずに、生まれ持ったセンス・オブ・ワンダーを保ち続けようとするなら、この感受性をともに分かち合い、生きる喜びと興奮、不思議を一緒に再発見していってくれる、少なくとも一人の大人の助けが必要です。

上記は、センス・オブ・ワンダーでもかなり印象的だった箇所の一つ。

子どもがセンス・オブ・ワンダーを保ち続けるためには、それを一緒に再発見してくれる大人の助けが必要です…とありますが、これは逆も然りではないかと思いました。

同じようなことを訳者の森田さんも書かれていますが、大人がセンス・オブ・ワンダーを再び手に入れるには「少なくとも一人の子どもの助け」が必須です。間違いないです。

大人は合理性や生産性に毒されているので…

自然の中でわくわくを見つけたり、日々に生きる喜びや興奮を感じたりするには「子どものセンス・オブ・ワンダー」にもっと助けてもらう必要があるなぁと痛感しました。

3. 日常を楽しむためにも「ワンダー」は大切!

どこに進むのでも、たどり着くのでもなく、ただ心がいきいきと躍動している状態。驚異、驚嘆、驚き、不思議、好奇心、あるいは文脈によっては、疑念や不安と訳されることもある。結論が出ないまま、動き続ける。静かでありながら、繊細に周囲に感応している。「ワンダー」という一つの言葉から、僕はこのような心の風景を思い浮かべる。

自然がもたらすワンダーに開かれた感受性――これをカーソンは、「センス・オブ・ワンダー」と呼んだ。

上記の2つは、訳者の森田真生さんが書かれた「僕たちのセンス・オブ・ワンダー」からの引用。

目的があるわけでも、メリットがあるわけでもない。「ただ心がいきいきと躍動している状態」をワンダーと言う。このような「ワンダー」の状態に普段からなっているか?と考えさせられました。

合理性・生産性などの優先順位が高い現代では忘れ去られている感覚なのかもしれません。あと、年齢を重ねるにつれて「驚き」や「不思議」に対する感覚も鈍ってきてしまいますしね。

なぜここまでワンダーワンダー言っているのか?

それは「なんでもない日常を楽しむため」かなと思います。ワンダーに対して感受性を開いていけば、日々はもっと楽しくできる。レイチェル・カーソンの書いた美しい文章を読んでそう感じました。

まとめ

レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」を読んで、世界をきちんと見れていない自分、見ようとしない自分に気付くことができました。

ウチの子どもたちはまだ4歳と2歳なので「センス・オブ・ワンダー」を失っていません。毎日彼らから「センス・オブ・ワンダー」を思い出させてもらっているところなんだと思います。

カーソンの言葉を借りると「これまで見逃していた美に目を開く方法」を子どもたちから学んでいる最中。

センス・オブ・ワンダーを読んだことで、日常がもっと楽しくなりそうです。世界の見方がガラッと変わるような気がします。

これまで見逃していた(見ようとしていなかった)モノゴトにも目を向けてみよう!という意識が働きそうです。

  • 小さい子どもがいるママパパ
  • これからママパパになる予定の人
  • これからの世界をもっと楽しんでみたいと思う人

↑こんな方々に「センス・オブ・ワンダー」はおすすめです。ぜひ書籍を手にとってみてください。

#センス・オブ・ワンダー #レイチェル・カーソン